2014.05.15 THU
このプロジェクトの目標地点であり、もっとも身近な天体である月をより深く知っていただくため、様々な視点でご紹介します。

宇宙開発の歴史と未来

人類の宇宙への軌跡にはさまざまなドラマがあります。
国同士の競争、次々に出てくる未知なる謎の解明、奇跡の生還、新興国の登場…。
そうした歴史を振り返りながら、宇宙開発の未来予想をしてみました。
1950~70年代
アメリカ・ソ連の宇宙開発競争
人類が初めて人工衛星を打ち上げたのは1957年10月4日。旧ソ連が作った直径58cmの小さな球状の人工衛星「スプートニク1号」でした。しかし、この小さな人工衛星が電波を発しながら世界中の空を飛んだ時、科学技術分野で世界一と自負するアメリカ人のプライドは激しく傷づけられ、それ以降アメリカと旧ソ連の激しい宇宙開発競争が始まり、暫くの間、旧ソ連の「1人勝ち状態」は続きました。
1961年4月にユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行を成し遂げ、1965年3月にはアレクセイ・レオーノフが宇宙船から出て人類初の宇宙遊泳に成功。「人類初」のタイトルは、ことごとく旧ソ連が手にしていきます。そこで巻き返しを図るアメリカは月を目指すことに。
月に人間を到達させ、アメリカの国旗を立てることで一気に挽回し、圧倒的な勝利を収めようと莫大な資金と人材を投入しました。
多くの困難や失敗を乗り越え、ついに1969年7月、アメリカは「アポロ11号」で2人のアメリカ人宇宙飛行士を月に到達させます。世界の約5億人の人々がテレビで月面中継の模様を見たとも言われ、アメリカの勝利を世界にアピールしました。
そして、1972年、アメリカのアポロ宇宙船と旧ソ連のソユーズ宇宙船が宇宙でドッキングに成功、両国の宇宙飛行士が抱き合い、15年間に及ぶ宇宙開発競争は終わりを告げたのです。
人類初の人工衛星「スプートニク1号」。現在の衛星とは異なり球のような形をしています
photo by NASA
アポロ宇宙船とソユーズ宇宙船の宇宙飛行士が交流をした瞬間
photo by NASA
1960~70年代
アポロ計画の歴史
月面車に乗ってタウリス・リトロー峡谷を運転する、「アポロ17号」のサーナン宇宙飛行士
photo by NASA

アメリカの有人月計画は1961年5月、ジョン・F・ケネディ大統領が演説で発した一言から始まります。
「1960年代の終わりまでに、アメリカは月に人を到達させ、無事に地球まで帰す」。
しかしこの時、アメリカはまだ宇宙に1人も人間を送り出していませんでした。開発は困難を極め、「アポロ1号」の地上試験で3人の宇宙飛行士の命が失われるという悲劇もありました。
そんな状況の中、多くの課題を乗り越え1969年7月20日、2人のアメリカ人宇宙飛行士が月面の「静かの海」に降り立ちます。地球以外の天体で人類が初めて足を踏み入れたのです。「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」というアームストロング船長の言葉が人類の歴史に刻まれました。
その後もNASAは月面での活動を展開し、「アポロ15号」では月面車を運び、地質学の調査を受けた宇宙飛行士が月面の広い範囲で調査を実施。その結果「ジェネシスロック(創生期の石)」と呼ばれる、約40億年前の月の石も発見しました。
時には困難にも見舞われます。「アポロ13号」では、月に向かう途中の宇宙船にトラブルが発生。絶体絶命のピンチに陥りますが、地上管制官が電力維持や二酸化炭素除去などの方法を指示。無事に3人の宇宙飛行士達は地球に戻り、「奇跡の生還」と讃えられました。
アポロ計画では、合計12人のアメリカ人宇宙飛行士が月面を歩き、月がどのように生まれ、進化したかについて数々の大発見をもたらしました。しかし、新鮮さを失ったアポロ計画への世間の関心は徐々に薄れていき、20号まで計画されていたアポロ計画は、1972年の「アポロ17号」で終了してしまいます。「アポロ17号」が月を離れる日、ジーン・サーナン船長は記念の銘板を月に置き、「再び誰かがこの地を訪れてこれを読み、アポロの探検と意義をさらに広げてくれるまで、ここに残っているだろう」と話しました。

1990~2010年代
現代の月探査(アメリカ・ロシア・中国・インド)
中国が始めて月面着陸させた探査機「玉兎号」©時事通信フォト

アポロ計画で「月がどのように生まれたのか」について重要な手がかりが得られたものの、その詳細や、表と裏がまったく異なる月の姿など、新たな謎も浮かび上がりました。1990年代に入ると、それらの謎を解くため、アメリカや日本が無人探査機の打ち上げを始めます。
例えば、アメリカの探査機「クレメンタイン」は月全体にわたって資源を調査するとともに、月の極地に地層に水(氷)が存在する可能性があることを発表。水の存在を確かめようと「ルナ・プロスペクター」が飛び立ち、約60億トンの氷があると公表しました。
そして、21世紀に入ると、本格的な「月ラッシュ」が始まります。きっかけは2004年にアメリカが新宇宙政策を発表し、「再び月を目指す」と宣言したことです。世界が月に目を向けるなか、本格的な科学探査をいち早く行ったのが、日本の月探査機「かぐや」でした。
90年以降の月探査は、アメリカやロシア、日本だけでなく中国やインドも月探査に乗り出したことが特徴です。特に中国は独自の月探査に力を入れ、確実にステップアップしています。衛星「嫦娥(じょうが)1号」、「嫦娥2号」を続けて打ち上げ、「嫦娥3号」では月面ローバー「玉兎号(ぎょくとごう)」を走らせました。今後、月から石を持ち帰り、将来的には有人の月面探査も目指していると言われています。
インドは、2008年に「チャンドラヤーン1号」で初の月探査に成功。現在は約9000万ドルを費やし2号機を開発中です。日本やアメリカ、欧州なども負けじと、月や小惑星、火星を目指すために話し合いを進め、新たな競争が生まれつつあります。
新興国の登場で活気が出てきた月探査。月を再び人類が訪れる日はそう遠くはないかもしれません。

2045?
30年後の宇宙開発はどうなっている?
「今、一般の人たちが海外旅行に気軽に出かけるような感覚で、30年後には月へ旅行に出かけるようになるでしょう」と、東京大学で宇宙工学を専攻する中須賀真一教授は言います。
「すでにお金持ちの人は、数十億円払って国際宇宙ステーションに1週間の旅行に行っていますよね。裕福な人が豪華な旅行先として月に行くのは、30年先と言わずもっと早いかもしれません」
では、その頃、月面ではどんな世界が広がっているのでしょうか?
「月面に工場や天文台ができて、宇宙開発がさらに加速しているはずです。地球から出張で月面工場に行って火星行きの宇宙船を作る、なんてことができる可能性は大いにあります。それには、月の水の調査がもっと進まないといけませんが、今話したことは決して夢物語ではありませんよ」
さまざまなドラマと共に発展してきた人類の宇宙開発。これからの30年間も、きっとたくさんのドラマがあるはずです。そして、その先にはわれわれの想像をはるかに超えた宇宙の世界が広がっていることでしょう。
NASAが作成した未来の月面のイメージ図
photo by NASA

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